『吉田拓郎』地球劇場 後編 ^_^

2014年07月03日




おはようございます。


テレビ嫌いの吉田拓郎さんがテレビ番組に出演するのは、ほとんどないことです。


自分でテレビ番組持ってたら自分でもやりたいし谷村新司は嫌いだが企画が良いから出演した。(笑)


人を褒める事が嫌いで照れ屋の拓郎さんが珍しく嫌いと言いつつ褒めてます。

17年ぶりの再会です。


谷村新司さんの名曲『昴』を褒めてます。こんな曲が作詞作曲できる人がこの世界に存在するのか?


認めざるを得ない!


そんなふうに相手を褒めるのも面白いです。

当時、若者達に衝撃を与えた曲が『結婚しようよ』でした。

40万枚の大ヒットでした。

フォークソングのイメージを変えました。

自分達の正直な声を自作自演する。


他にも、自分が作った曲をキャンデーズ、森進一、石野真子、らに提供しています。


1975年に、井上陽水、小室等、泉谷しげる、さんらとフォーライフレコード設立!


アーティストがレコード会社を持つのは、前代未聞のことでした。


元祖、夏フェスの原形でもある野外コンサートでは、7万人の人を集めました。


全国ツアーも拓郎さんが最初に始めました。

デビューから44年間、音楽会に革命を起こしてきました。

拓郎さんの存在感について、キーボード奏者であり音楽プロデューサーの武部聡志さんは、拓郎さんにしか作れない、歌えない歌い方ができる。声がカッコいい、歌い方がカッコいい、今も多くのミュージシャンに影響を与えていると言っています。


吉田拓郎と音楽の出会い


鹿児島生まれの広島育ちです。

小さい頃両親が離婚して、父親除く全員が母親の仕事先の広島へついて行ったそうです。

家庭は崩壊してたようです。


年の離れた兄はジャズピアニストで広島へ帰ってくる度、東京の香りのする毎回違う女性を連れてきてたようです。それが音楽をやってたら華やかで良いなと思い、母親に現在の家庭状況で買ってもらえる楽器ないと聞いたところ、ウクレレだったそうで、それが最初の楽器だったそうです。(笑)


結局、女性にモテるために音楽をやりだしたようです。


それは、谷村新司さんも同じで、子供の頃、肥えていて、好きな女性を振り向かせるため音楽をやりだしたそうです。


中尾ミエさんにファンレターをだしたけど返事は返ってこなかったようです。(笑)

御三家の橋幸夫に影響を受け、高校生の時の髪は、潮来刈りだったとか!

森進一にプレゼントした襟裳岬を二人で熱唱しました。

最後に、谷村新司さんが拓郎さんのために、詩を創り手渡しました。


二人ともいい年の取り方をしてるなあ!と感じた次第です。


v(^_^v)♪








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